徐々に机上の空論

Its all in my head. So I dive in my head, and try to keep on subscribing.

記録02 どのようにおかしさが露見していったのか

前述、記録01では不安定なひと月について述べた。
4月からは新しいステージとなる。
関西の見知らぬ地で数ヶ月の研修が始まった。
借り上げの賃貸の一角に数人の同期と暮らし始めた。
分別はゆるく、すぐ隣に大手すーぱーもあり、
とりあえず暮らし始めるには十分な条件があった。
何もない代わりに、辛いこともない。
ほんの少し前にあったたくさんの恐怖の影はほとんどそこにはなかった。

日々研修をこなし、サラリーマンへの準備を整えていく。
時折週末に出かけては、ほどほどの気晴らしをしたりした。
唐突にサイクリングを初めて海辺を目指し、12kmくらい自転車を漕いだりもした。青い海があって、青い空があって、梅雨明け直後の快晴がとても心地よかった。

例年よりも早い段階で配属の話題が蔓延っていた。
私はそこで最初のミスをおかした。
事前面談で聞き手と話し手の意志疎通がずれたまま完結し。
同期数人の中で唯一上流行程の部署へと行くことになった。

それ自体はチャンスだったのかもしれなかった。
しかし、受け入れ側には余裕がなかった。
新人を迎え入れる余裕も時間も、OJTとよべるような内容もなかった。
おそらく自分が今くらいのパワーを持って接していればまた違ったと思う。
それは土台無理な話だった。
予想外の辞令、いつくるか解らない地震、余裕の無い上司、多少のアルハラ
何一つ助力となるものを見いだせなかった。

私は仕事がしたかった、できるようになりたかった。小さなことでも成功経験を積むことで自信がうまれて新たな一歩へつながるはずだった。
現実にはなにひとつ仕事がなかった。作業すらまれで、ただ書類を印刷して地方に持参しすでに進んでいる話を途中から掻い摘まむだけでフォローなし。
社に戻り、新人特有の教育用レポートを書くと、ネガティブなことを書けば遠くから上司が睨みつけていて、何も言われない内に書き直させられた。

このころには顕著に睡眠の質が下がり始まっていて、23時に寝て6時に起きたところで疲れは残ったまま。ずっと体が緊張したまま寝ていても回復はできないのだと痛感した。
会社でも居眠りが増えていき、周囲の目が厳しくなった。
上司は「まわりの目があるから給料泥棒だと思われても仕方がないぞ、そう思ている奴もいる」とそそのかし、追いつめられていった。

限界を感じた頃、病名をもらうことで自分の状態を知ってもらおうとした。
近所の心療内科で問診をうけ、薬を処方され、診断書をもらった。

話はすこし飛ぶが、私は上司のことを哀れだと思うようになっていた。
常に何かにおびえていたし、同調圧力にはどんどんつぶされていくような、
精神的に線の細い人だと思った。今この人にはキャパシティがない。
私の状態を知ってもらう意味はないと思っていた。
一方、憎しみも膨らんでおり、何度もビルのガラスを割って突き落とすことを考えていた。ただそのときは自分も辞世すべきときだから、そうなると心中みたいでいやだなあと、思い直していた。
高層ビルの窓ガラスはどのくらいの負荷をかければ割れるのかよく考えていた。
話す機会があったら当人にこの話をしてやろうと思う。

余談はこのくらいにして、診断書をもらったわたしはそれを伝えるタイミングに苦慮していた。まず、自分だっていいたくなんかないのだ、私は今精神に異常を来しています。などと。その上聞く耳のあるものに伝わらなければそれでおしまいである。ほとんどリスクしかない。

そのときもらった診断は「鬱状態」と「睡眠障害」。
うつについて口にするのは心の準備も足りず、見送った。
部署の人々と昼食をとるタイミングがあり、そのとき私は自分の睡眠障害についてまず伝えようと思った。そのときバッサリと言い放たれた。
「誰だってそういうところに行って症状を訴えればそういわれるだろう」
一同談笑。私は貴様等の昼飯の雑談のためにこんなことをしたんじゃない
怒りが襲ってきて、それは急激に諦めの思いへと変わっていった。

今日のところはここまでかな。
きっと甘ったれたことも書いてあるだろうけれど、
甘えてるのはそこら中でウン十年私より長生きしてその分だけ態度も大きく育った腹も肥えたおっさんどもも大差ないぞ。

このあとも楽しくない状況が続いていきます。