『ここさけ』はハッピーエンドだと思いましたか?

**物語はハッピーエンドを求めているのか
順の書いた物語(順の想い)。
屋上でその物語を推敲する実行委員会。
この時点では
田崎「グロくね?」
仁藤「でも安易にハッピーエンドでないところが童話っぽくていい」
など。このお話で順の中に溜まった言葉が叫び出すところまではここまでのつくりでも可能。

拓実の昔話を聞いた順は、自分のことばかりのシナリオを恥じた。王子様にお返しをしたい、また自分の物語をハッピーエンドにしたいと願った。

一見正反対の結末を用意した順に対して、拓実は両方の可能性を残した。呪いを解いて叫び出すことも、王子様へ何かを与えようとすることも、両立させられると。惚れる。

結果物語の中では二つのエンディングが交差して両立している。

**一方、順自身の物語は
直前で逃げ出した順は、お城で拓実に向かって言葉をさらけ出す。呪いは解けたけれど、王子様は手に入らなかった。


**入れ子構造として見ると
物語をみた私たちはハッピーエンドのように感じたかもしれない。順は声を取り戻し、クラスは団結、個人の抱えた問題も快方に向かう…。
しかし可能性はもう一方残っているかもしれない。ミュージカルでは最後に二つの結末が両立しているからだ。
本筋にあるとしたらどこだ?

物語で描かれていない、示唆されていない結果、それは親との関係ではないだろうか。

演劇で会心の一撃(私の声)を放ったことで現状の打破はできた。
しかし劇中ではその後母との関係については触れられてはいない。そこにはシンプルなハッピーエンドではない可能性がある。
順の母はとにかく疲弊しきっている。10年以上のあいだ娘の声を聞いていない。そして長いときを経て耳にしたのは「私の声」。
果たしてこの後母子は先へ進めるのだろうか。

**というわけで
順がスタートをきる話だから良い話だった!で話を畳んでしまっては勿体ないとは思いませんか?
学校の片づけが終わって、帰宅した順は突然普通に話せるのか?
母親は順の言葉すべてを受け止められるのか?

先に進むとき必ずつきまとう不安が、きちんとそこにある。未熟な母子はここからの道のりが正念場なんじゃないかな。